560gで産まれた発達障害児のシンマザ、アートディレクター福田忍さん

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地域に根ざした制作会社「ハチコク社」。企画編集者の仲幸蔵さんとアートディレクター福田忍さんのお二人からなる合同会社です。
お二人は東京都の多摩地域、中でも東村山市に特化したクリエイティブな仕事を丁寧に丁寧に重ねてこられ、地域との確かな関係性を築き上げました。今では東村山を少し歩けばハチコク社の関わったロゴや冊子に必ず出会うほど!

中でもアートディレクターの福田忍さんは、発達障害児を含む二人を育てるシングルマザーです。今は主に紙媒体の冊子を製作されています。今回のインタビューでは、娘さんにまつわる発達障害や小学校教育について、少し斬り込んだお話を伺ってみました。

 

母であることと向き合う必要はない

忍「私、世のお母さんみたいにちゃんとやっていないんだけど大丈夫かな?(笑)家事は全部私の母親に丸投げしちゃっているし、チビ達ももう中学生と小学生2年で自分のことは自分でできるようになったから、お世話的な意味での手はかからない。仕事で家を空けることも多いし、子どもたちにとっての私の役割は、いわゆる一般的に言うお父さんに近いのかなぁ。毎日の細かい注意は私の母が色々とやってくれているので、一緒に細かく言い過ぎちゃわないように、精神的なところの支えでいられるよう、話を聞く係みたい。子どもたちに対してこうしなさい!みたいなのは、自分が母親らしくないからおこがましくてちょっと出来ないな」

 

-「“お母さんなんだからこうあるべき”みたいなの、しんどいですしね」

 

忍「仕事も家事も育児も頑張っているお母さんたちには尊敬しかないし、すごいな、素敵だなって思うよ。でも、もしできなくても、お母さんが自分のことを全部我慢するまでそこに向き合いすぎる必要ないんじゃないのって、どうしても思っちゃうんだよね…。私がいい加減でちゃんとしていないからかもしれないけど(笑)もちろん、それは、私がそうできる恵まれた環境にいることができてるってだけなんだけど。
私は子どもがお腹にできた時に、仕事も続けたいし、子どももちゃんと見てあげたいと思ったの。だから、忙しくなると昼も夜もなくなっちゃうフリーランスのデザイナーっていうワークスタイルを考えると、まずまともな家事は絶対出来ないと思って、母親に手伝ってもらおうと東村山の実家に同居させてもらった。
でも、長男が生まれてしばらくは仕事もそっちのけで子育てにハマっちゃってたよ。ほら、子どもって面白いじゃない? 一年経って、保育園に預けて仕事もやっていたけど、都内のプロダクションから依頼された仕事を黙々とこなすような感じで、メールだけのやり取りでどんなクライアントさんかもあまり知らないような事もあったし、かれこれ3年ぐらいは子どものことに没頭していたなぁ」

 

福田忍のアートワーク

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大友良英ニュー・ジャズ・クインテット&タツヤ・オオエ「SHORT DENSITY」のジャケットアートワーク

 

-「お仕事って、今まではどんな感じでやってきたんですか?」

 

忍「フリーになる前はアートディレクター伊藤桂司さんのスタッフだった。CDジャケだったり雑誌のビジュアルワークだったり、割とアート寄りの仕事が多かったかな。昼も夜もなかったし、展覧会のオープニングパーティーに行ったら色んなアーティストさんに会えたりだとか、賑やかなハレの世界にいたの。本当に楽しくて、仕事に没入していたなぁ。そのあと独立して、渡英してふらふらしてた時期があったりして、帰国して結婚して、大友良英さんのユニットのジャケットとか、坂本龍一さんのレーベルcommmonsの「にほんのうた」の販促キャンペーンのアートディレクションをやらせてもらったりもしました。そこから子育てにハマって、震災があって…。子どもたちの未来のために何をしてあげられるかなんて、少なからず心境の変化があったりして、地域に意識が向いたのはやっぱりそれが大きかった」

 

-「そして今の形になるのかぁ…」


忍「そうだね。地域に関わりだしてからはアートというより人を軸にした形に、どんどん質が変わっていって。
あと最近になってまたイラストも描き出したんだけど、デザインって見る人にどう伝わるかを俯瞰してバランスを取ったりする業種なんだけど、絵ってどんどん集中して、閉じ籠っていくっていうか、自分の内に内にって入っていく作業だから。デザインとイラストを同時にやると、そこのアップダウンが激しくて、心身ともに全部持っていかれちゃう。法人化してからは仕事の内容がデザイナーの枠では収まらなくなって、外にいることが多くなって、子どもたちとの時間はすごく減っちゃった。
だから子どもたちに対しては、なるべく細かい枝じゃなく木の根幹になるような部分だけは見つめてあげようって。そこにとことん向き合うってことへの一点集中に、子育てにおける自分の立ち位置や考え方をシフトした…というか、せめてそこだけはちゃんとやらないとと思ってます」

 

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ハチコク社で製作している冊子たち。地域に暮らす老若男女、様々な人が手に取りやすいデザインとなっている。

 

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中を開くと、おひさまの匂いがするようだ。先ほど貼り付けたジャケットワークと比較してみると、とても面白い。


560gで生まれた発達障害の娘

忍「…そういえば、うちの下の娘は560gとかで生まれたんだけど」

 

-「ぺ、ペットボトルじゃないですか!」

 

忍「23週で出てきてるからね、本当にペットボトルだよ。最初は保育器の中で手のひらに乗っちゃうような娘に綿棒で母乳をチュパチュパ~って啜るようなところから始まったんだよ。今では体もすっかり標準サイズになったけど、やっぱり超低体重児だったから今もどうしても発達的にちょっと大変なところがあってね…。本人はものすごく頑張ってるんだけど」

 

-「というと、発達障害とか?」

 

忍「そう。診断名をつけるなら、娘は自閉スペクトラム症の受動型にあたるそう。環境の変化がとにかく苦手で、前もった心の準備が十分でないとパニクっちゃって、ものすごい怒る。めっちゃ恐いの!(笑)あとワーキングメモリが極端に低いから、耳から入る情報を理解するのが苦手なのでコミュニケーションを取るのが難しい時もある。
超低体重児だったからずっと発達のフォローはしてもらっていたんだけど、保育園の年長の時、些細なことが原因で運動会を全ボイコットしたんだよ。ずーっと一人で会場の隅っこで泣いていて。その時にこのまま小学校行くと大変だってなって、保育園の先生や市と相談し始めたんだ。
そこで彼女の特性と向き合うようになったのが私にとってもすごくいい経験だった。なんというか、彼女は自分そのものなのよね。私自身は社会適応の範囲だと思うの。一応やれてきているからね(笑)でも、自分が子どもの時からもっていた違和感だったり生きづらさみたいなものが腑に落ちたというか、娘見て、私もこうだったってすごく思う。本当にね、自分と向き合う機会になったのよ。幼少期から自己肯定感をあまり持てずにいたから、彼女を認めてあげるってことが自分を認めてあげることにもなって。これから大変なこともあると思うし、現代の仕組みでは娘はやっぱり発達障がいなんだろうけど、人生で一番大変なことを生まれて数ヶ月でクリアしちゃってるような子だし(笑)、彼女の特性は、彼女にとってギフトだなって私は思ってます」

 

普通級と支援級の間に引かれた線

「社会環境がどんどん変わって、子供たちもしなやかに進化して多様になっているのに、学校とか社会の制度は私たちが子供の頃から仕組みが全然変わっていなくて。進学をどうするか教育委員会と面談して、その結果、娘は支援級を奨められたのね。実際に支援級への体験入学もしてみて。もうね、特別支援級は本当にすごく丁寧だった。8人ぐらいの子どもたちに先生3人ぐらいが付いていて、一人一人その子ができることに合わせて、個別にカリキュラムを作って進んでいくの。支援級の子どもたちは気に入らないと壁に向かってドンドンしちゃったりジッとしていられなかったりするんだけど、本質は普通級の子たちと全然何も変わらない。その時に、この子たちと「普通」って言われている子たちの間に引かれた線って何なんだ?って感じて…。
支援級の子どもたちに向けられている手厚さだったり寄り添い方って、普通って言われている子たちにも必要なことじゃないの?って。だって普通級は30人ぐらいの中に担任の先生1人しかいないんだから。その中でこぼれちゃう「普通」の子はどうしたらいいの?って。
わかってるけどね、人数にも限りがあるし。でも、社会の枠組みの都合だけでいきなりガツっと線を引かれちゃうじゃない?それがもっとゆるくなったらいいのになぁって思う。普通級の教室の端っこで絵描いてる子がいても良いのにね」

 

-「ウンウン。明らかな授業の妨害でもない限り、他の子どもたちに迷惑がかかる訳でもない気がするし」

 

忍「そうだよねぇ。あと、支援級に行くと一人で生きていくためのスキルだったりを身につける事が大きな目的になるので、進学をしたいなと思った時に普通級に戻るのはすごく大変そうで。そういう部分で、今支援級に進むっていう私の決断が、この子の人生を決めてしまうかもしれないって、“ここの一本、境界線の溝がなんて深いんだ”って感じた。結局、うちは普通級で頑張ってみることにして、今のところは娘も楽しそうに毎日学校に通っているけどね。
これまではぼんやりと別世界の話のように感じていた発達障がいが自分ごとになって、どうやったらこのことが世間の人たちにスッと伝わるのかなぁってすごく考えるようになった。子どもたちや、そのお母さんたちや、学校や役所の人たちが、お互いを知って認めて、キャッチボールしあえるような、そんな伝え方がきっとあるはずだって」

 

今後のハチコク社 

忍「子どもたちに編集とか、取材を通してまちを知る楽しさを教えたいなってのがあって。地元の小学校で“まちの素敵発見”っていう、自分たちが素敵だなと思ったお店とかへ取材に伺って、それをまとめて発表するっていう授業の特別講師みたいなものを去年やらせてもらったりしたんだけど。
お祭りだったりお店だったり、そこには必ず人がいるじゃない。その人がなぜそれを支えているかとか、なぜこういうことやっているのかって、必ずストーリーがあって。それを知ると、もっとそこが好きになったり誰かに言いたくなったりして、まちがどんどん面白くなっていく。特別にイケてる観光名所がなくても、団子屋のおばちゃんと話して“団子こうやって作ってんのよ~”って聞くだけで、そこの団子屋さんがちょっと特別な場所になったりだとかね。そういう小さい輝きみたいなものをまちのあちこちに増やしていけたらいいなって思いがあるの。
そういうのを、これから子どもたちともっと一緒にやりたいなぁって思ってる。それこそeducartさんと一緒にやれたら楽しそう!」

 

-「それ、めちゃくちゃ面白そうです…!取材って最高にエキサイティングだし勉強になりますもんね!私も今回の取材を通して、忍さんが今まで以上に特別な存在になりましたから」

 

忍「あはは、ありがとうございます(笑)あとね、ハチコク社のデザイン事務所として、おばあちゃんの古民家って感じの一軒家を借りたんですよ。和紙をすいて作品作ってる女性作家さんとシェアして。彼女のアトリエと、真ん中に八畳の二間と縁側があるから、コミュニティスペースみたいな感じで色んな人に使ってもらえたらなぁと思ってます」

 

ハチコク社のデザイン事務所・アーティストのアトリエ、そして施設観光案内所として、地域の文化・アートの拠点となるようなコミュニティスペースを、楽しくDIYしながら準備しているそうです。オープン予定は今年5月。
パーティーやワークショップなどでスペースをレンタルすることも出来そうなので、ぜひハチコク社のサイトで最新情報をチェックしてみてくださいね!

 

www.859sha.com

  

福田忍 Shinobu FUKUDA
アートディレクショングラフィックデザイン・イラストレーション

1972年大阪生まれ、12歳の時に東村山に移住。創形美術学校グラフィックデザイン課に在籍中にリクルートガーディアンガーデン「ひとつぼ展」グランプリを受賞。卒業後はイラストレーターとして活動しながらアートディレクター伊藤桂司氏の元でクリエイティブの礎を学ぶ。独立後はフリーのグラフィックデザイナーとして活動しつつ、イギリスや東東京、川崎など、都市の郊外を好んで転々とする。出産を機に戻った東村山で「るるぶ特別編集 東村山」のデザインを担当し、以降、地域に根ざした制作物やイベントの企画制作に携わるようになる。 東村山市内同時多発ライブイベント「まちジャム」、野外シネマイベント「さとやまシアター」、国立本店メンバーとして旧高田邸や鳩の湯イベントなど、地域プロジェクトの企画運営に関わることも多い。

2017年合同会社ハチコク社設立。現在、多摩観光推進協議会発行のインバウンド事業「Another TOKYO TAMA」プロジェクトにて、多摩を観光PRする図鑑カードやマップの制作や、東村山市フリーペーパー「むらのわ」を担当している。

 

最後に自己紹介させてください

私たち【 educart(エデュカート)】は、yajiとkarmaの2人による【児童福祉×芸術】をテーマにしたチームです。保育園などへの出張音楽講座、障害児向けのアートセラピー、ママやパパが楽しめるイベント開催など、芸術を通して子どもたちに生きる楽しさ・自己表現の素晴らしさを伝えていく活動を行なっています。 

educart.hateblo.jp

 

取材・執筆・編集:karma
写真提供:福田忍