不祥事に対する空気感に学ぶ、失敗を許さない教育の危うさ

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電気グルーヴピエール瀧さんがコカイン使用で逮捕された事件を受け、ソニー・ミュージックレーベルズがCD・映像商品の出荷停止、店頭在庫回収、デジタル配信停止などを開始し、瀧さんが関わっていた作品も販売の自粛、別声優での録り直しなどの対応を余儀なくされました。

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20年以上コカインを使ってきたという、正真正銘の依存症患者である瀧さん。それが社会的に露呈された現在、ここまでの自粛や回収を行ったことで瀧さんの社会復帰は絶望的な状況に追い込まれてしまいました。瀧さんがどうかはわかりませんが、人によっては自暴自棄になって「もうコカイン吸いまくって死んじゃえばいいや〜」「いっそヘロインでもやっちまおう」なんて思う人だっているであろうほどの状況。それだけの、強烈な社会的制裁がくだっています。

ここでは、そういった行動の背景にある考え方の考察や、教育に及ぼす影響を考えてみました。賛否あるかと思いますが、お付き合いください。

※想いが乗りにノリすぎて、かなりボリューミーな記事になってしまいました。お時間取らせてしまうかもしれません、ご了承ください。

 

  

不祥事によってもたらされる損失 

まず絶対に忘れちゃいけないのは、瀧さんがこの法治国家において麻薬取締法に違反し、レーベルやスポンサー、作品の製作委員会との契約や信頼を反故にした、という点です。この点に関して言えば擁護できる余地はないと思っていいでしょう。
法という観点を抜きにしても、コカインはドラッグの王様とも呼ばれる超ハードドラッグです。本人含め、誰も幸せになりません。
家族、レーベル、バンド。様々な組織やチームに所属する以上、ドラッグの使用や不祥事は「自分ひとり捕まれば終わる」ような単純な問題ではないのです。それだけは前もって、はっきりと宣言しておきます。

 

過剰な自粛の根底にある考え方

臭いものには蓋をする

日本は昔からそういう傾向にありますが、起こった問題をどう解決していくか頭を捻ることもなく起こった問題をどうやってなかったことにするか、に全力を注ぐんですよね。
以前もポケモンGOでの事故が多発した時には「アプリの規制をしろ」との声が大きく聞こえてきて、ポケモンGOをやっていても事故が起きない・もしくは事故が起きるような状況にさせないようなシステム改善の案は殆ど出なかったし、虐待事件が起きてしまえば「母親失格!」「自分の子供を傷つけるなんて信じられない!」と一斉に親を攻撃し、じゃあ虐待が起こらないようにするためにはどういう福祉・社会であればよかったか?ということにはフォーカスしないのです。

ここ数年で、特にそういった流れが加速しているように思います。
モンスターペアレントや過剰なクレーマーが増加している傾向にある昨今、やはり企業やレーベルサイドはスポンサーとの兼ね合いもあり、慎重にならざるを得ないのでしょう。しかし、そういった“一部の激情的な声”に配慮して合わせていくことが、果たして本当に必要なのか、疑問に思います。

「お客様は神様」という盲信

最近バズったこちらのツイート。

このツイートのリプライにも外国人労働者に対する文句がたくさんぶら下がっていたのですが、そのどれもが「仕事が出来ない」「カタコト」「臭いがキツイ」などの、改善の見込みがあるのだから建設的に方法を意見すればいいだけの事象に対する文句でした。
お客様は神様だなんて言いますが、海外では「注文を運んでくれる店員さん」へのリスペクトとしてチップを支払うのが一般的だし、みんなどこかの店の店員さんでありお客さんだという認識をしっかり持って接しているような印象です。
もちろんお客さんは有難い存在だと思いますが、だからといって何を言っても(しても)許されてしまうのはどうなのでしょうか。そういった一部の悪質なお客さんに合わせ、企業やお店サイドが悪くないのに謝って、ご機嫌を伺うように対応をする。その繰り返しで、「ゴネ得」を学びながらモンスタークレーマーが育ってきました

そして、モンスターの育成はまだまだ続きます。昨今の過剰な自粛も、その一環に過ぎません。

排除するという悲しさ

つい先日、ニュージーランドクライストチャーチのモスクで起こった銃撃テロ。49人が亡くなり、犯人はその様子をライブストリーミングで生放送していたという、とんでもなく悲しい事件です。この事件の犯人は移民を「侵略者」として敵視しており、白人至上主義のもと、排除する思想がありました。
また、日本でも起こっている相模原の障害者施設「やまゆり園」の殺傷事件。19人が殺害され27人が負傷した事件です。「意思疎通の取れない人間は安楽死させるべき」などといった考えに基づき、入所者を殺傷しました。ナチスが障害者らを大量殺害したT4作戦に通じるところがありますね。こういった差別を基にした事件を総称し、ヘイトクライムと呼びます。

そしてこういった差別と排除の背景には、優生思想が根付いているとも考えられます。

優生思想

身体的・精神的に秀でた能力を有する者の遺伝子を保護し、逆にこれらの能力に劣っている者の遺伝子を排除して、優秀な人類を後世に遺そうという思想。優生学の成果に立脚する。人種差別や障害者差別を理論的に正当化することになったといわれる。

優生思想 - ウィクショナリー日本語版

 ヘイトクライム

人種民族宗教性的指向などに係る、特定の属性を持つ個人や集団に対する偏見や憎悪が元で引き起こされる、嫌がらせ、脅迫、暴行等の犯罪行為を指す。

ヘイトクライム - Wikipedia

 果たして何が違うのか

こういった残虐で卑劣な人とは思えぬ行為・ヘイトクライムと、不祥事における弾圧を比較して重ねてしまうのは暴論だと非難されそうですが、本質にはあまり差異がないように思うのです。ヒトラーにしてもトランプにしても、その社会の空気感や大衆の鬱屈とした不満によって求められて選ばれた側面が少なからずある。この空気感というものこそが一番無責任で、一番怖い
こういった空気感に呑まれて、不祥事を起こしたアーティストに対して先の活動制限だけではなく過去の作品まで全て封印してしまうというのは、一部の過剰なクレーマーに対して過剰な適応をしてきた結果であり、危険なものを排除しておく理解できない人は消すという考え方に基づいたものに他ならないのではないでしょうか。
もちろん事によっては被害者へ消えない傷を刻んでしまうし、ただ刑期を終えることだけが罪を償うことになるかといったらそうではないと思います。それでも、どんな人間だとしても、それを排除することになんの意味があるというのか
考えても考えても、私は、納得できる答えを見つけることが出来ないのです。

失敗を認めないということ

嘘をつく原理 

人は必ず失敗をするものです。何も失敗しない人間なんか、この世に1人として存在しないでしょう。
にも関わらず、社会全体の空気感はもちろん、もっとミニマムな社会である会社や家庭などで「失敗を許してもらえない」という空気がある。これは、絶対に失敗したくない!!というマインドを生み出し、そして、失敗してしまった時には怒られてしまう恐怖心や不安に繋がります失敗の否定です。すると大抵の人は、失敗を隠すようになる。とても自然な流れですよね。
親子や上司と部下など、信頼関係が必要な関係性において、これは結構致命的。いざという時に報告や相談をしてもらえず、大変な事になってしまいます。日頃からなんでも話し合えるような、失敗を相談できるような関係性にするためには「否定される恐怖心」を取り除かなくてはいけないのです。

Just for today

瀧さんが陥っていた薬物依存症の世界では、「今日1日やめてみよう」「今日も1日やめられたね」という、とってもシンプルな考え方に基づいて回復に努めます。たとえ再使用してしまったとしても、担当医も当事者も、誰1人として咎めたり否定したりすることはありません。だって、誰よりも一番自分こそが、失敗したと思っているんですから。
そのうえ周りからも失敗が許されない(自分でも許さない)ことから、自己の否定が強まり、アディクション(依存)は強まっていってしまいます。
何度失敗しても、自分を受け入れてくれる仲間がいる。心からの感謝が生まれます。やっぱり性質上社会やあらゆる人々から否定され続けているので、受け入れてもらえることが本当にありがたくて、涙さえ出てくるんです。そういう安心感が、アディクションの根本にある孤独や自己否定の感覚を和らげてくれて、回復に向かう。だからね、瀧さんを速やかに回復させてあげようよ〜(涙)

自己肯定感の低さを生む

上記で述べた依存症における自己否定もそうですが、生育環境や発達の問題でも生じやすい自信の無さや劣等感などの自己肯定感の低さは、様々な問題を引き起こしてしまう重要なファクターだと思います。
この自己肯定感の低さもまた、失敗を積み重ねてそれを否定され続けることでどんどん増強されていってしまいます
例えば私が周りや社会全体から否定され続けて自己肯定感の一切を失ったとしたら。きっと、死んでしまいたくなるでしょう。もうどうでもいい。どうせ私なんか誰からも必要とされていないのだから、と。そして何かのきっかけでその感情に怒りが混ざってしまうと、どうせ死ぬんだから私を苦しめた人(社会)に報復してから死んでやる、という風な思考回路に陥って、大事件を起こすかもしれません。
そのため、たとえどんな人間であっても、自分を全く肯定できない状態に追い込んでしまうのは適切な選択ではないと、私は考えています。

日本と諸外国の若者の意識調査の結果

日本社会の教育の賜物である「若者の自己肯定感の低さ」を示したグラフを、ここに置いておきます。参考にしてください。

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www8.cao.go.jp

 

自分に自信を持つためには

だからと言ってなんでもかんでも肯定するのも違いますよね。コカインはダメだし、罪は罪。やっちゃいけないことはやっちゃいけない、そこはブレちゃいけません。それを教えながら自信を失わないように接していくのって、なかなか骨の折れる作業。じゃあ一体どうしたら良いのでしょう。

罪を憎んで人を憎まず

正直、全てこの一言に尽きませんか?罪を憎んで、人を憎まず。当然、作品も同じ
犯した罪自体は悪いことだということを淡々と教え、立ち直るための方法を一緒に模索していく。罪に対して「それはそれ」として、その人自身には寄り添い見捨てないスタンスを、親や周り、できれば社会全体が取れたら良いですよね。

失敗を受け入れてあげる

教育において子供が自信を持って生きていくためには、失敗を恐れないことがとても大切になってきます。そのためにはまず、一番身近な大人である親が、子供の失敗を受け入れてあげることが何よりも重要です。
まず、失敗を失敗と思って落ち込まないようにすること。失敗は成功の素だと昔から言われていますが、発明家エジソンは電球を発明するまでに1万回も失敗をし、それについて「1万通りもの方法を発見できた」と言ったそうですよ。(余談ですが、エジソンも重度のコカイン愛好家でした)
そして、もし子供が失敗してしまっても、咎めたり否定したり決してしないこと。笑って受け入れてあげて、子供に「失敗は絶対にいけないことだ!」という意識を植え付けないようにしてあげたいですね。失敗するのが怖くなくなれば、どんなことにもチャレンジできるようになっていきます。その積み重ねと成功体験が、自信に繋がっていくんですよね。

 

 最後に

社会全体の空気感として、失敗を認めずに人そのものを排除してしまうことが当たり前のようになってきた日本の現状は、とても良くない流れだなぁ、と感じています。大げさと言われるかもしれません。はたまた、ズレていると思われてしまうかもしれない。もちろん私も自己肯定感を損なうのは嫌だし、否定されるのがすごく怖いので、こうして思想を絡めた発言をするのはとても勇気が要りました。
それでも警鐘を鳴らすことが重要だと思ってしまうほどに、どうにかして意識を改革しないといけない、と思ったのです。このままじゃいずれ優生思想がこじれて、イルミナティの新世界秩序ですら正当化されてしまいそう。はたまたエヴァンゲリオンのような世界かな。

そこって、子どもたちが笑って過ごせる未来なのかなぁ…?

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
もしよろしければ下記の自己紹介記事も、併せてよろしくお願いいたしますm(_ _)m

educart.hateblo.jp

 

※この記事に特定の思想や政治などを支持する意図はありません