3.11東日本大震災〜海に沈んだ町を眼下に見たトランペッター、臺隆裕さん

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 この時期になると毎年必ず思い出す、「3.11 東日本大震災
今さら説明も不要かとは思いますが、地震そのものの被害はもちろん、津波福島第一原発におけるメルトダウンや爆発、そして今もなお起き続けている二次被害などによる、戦後最悪の災害です。
あれからもうすぐ8年を迎えます。

今回の記事ではeducartらしく「芸術の力で復興を行っている人」を取材し、気持ち新たに被災地を考えることで、来たる3月11日に向けて背筋を正そうと思います。

 当事者にとっては今もなお色褪せることなく毎日続く震災の余波を、その鮮烈な音色で吹き飛ばすようにトランペットを吹き続け、エル・システマジャパンの講師として被災地で音楽指導を行う被災当事者。
岩手県大槌町出身のプロトランペッター、臺 隆裕(だい たかひろ)さんにお話を伺いました。 

震災、まさにその時

 -「もし思い出して苦しくなったら、いつでも中断してくださいね」

 

臺「ありがとうございます。全然大丈夫です!
震災当時僕は高校生で、地震が起きた瞬間はまさにトランペットを触っていました。山の上にある高台の高校で、吹奏楽の部活中だったんです。その時の出来事でしたね。もともと大槌町地震が頻繁にあって、大きい地震も何度も経験していました。いつも津波が来るっていっても1mとかだったんで、いつも通り少ししたら帰れるんだろうなぁと思っていたんです。
…30分ぐらい経ってからかな、グラウンドで部活をしていたサッカー部や野球部のみんなが、泣きながら中庭へ逃げてきました。「どうしたの?」と聞くと「お前も見てこい」と。
見にいくと、町が消えてたんです。高校の周り全部が海になっていました。プロパンガスが色んなところでずっと爆発していて、山が燃えていた。明らかに自分の家とかも無くなってるんですけど、悲しいとかそういう感情も不思議と湧いてきませんでした。
やがて高校にはどんどん遺体が運ばれてきて、ガスの風向きで全員死んじゃうかもしれないねなんて言いながら、大人たちも絶望していましたね…」

 

避難所となった高校で、寝ずに支援活動を行なっていた臺さん。避難者リストを作ったり、学校中のカーテンを破いてシーツを作ったり、遠くまで歩いて行って保存食を探したりしていたそうです。

 

臺「感情に蓋をしたような感じでした。だって遺体を見ても何も思わなかったし、家族が生きているってわかった時だって何も思わなかったから」

 

 音楽をやりたい自分を嫌った

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臺「内陸に避難してからが僕にとって本当の地獄でしたよ。高校にいた時は無心で体が動かせたので、何も考えずに済んだんでしょうね。でも、内陸にある受け入れ施設に避難してから自分の地元がどうなってるかをニュースで見ているうちに、何もできない自分を感じてどんどん沈んでいった。
そして、やっぱり音楽がやりたくて仕方なかったんですよ。でも、こんな大変な状況なのに音楽をやりたいなんて欲を感じてしまう自分に罪悪感があって。その悪循環です。
僕はどうしてこんな状況になってまでも、音楽をやりたいんだろうって。それどころじゃないはずなのに、手がトランペットを覚えてるんですよ。ずっと吹けなかったことで顔の筋肉が衰え顔の形も変わってしまったりしても、やりたい気持ちが消えてくれなかった。うつに近かったと思います。
そんな僕の状態を父が察してくれて、ちょこちょこと大槌町へ連れ出してくれたんです。
父が家のあった場所で物を探したりしている間、僕は避難所で幼稚園や小学校の子供たちの世話をしました。子供は状況をわかっていないので、みんなのお泊まり会!みたいに思ってたりするんですよ(笑)そういう遊びたがりの子達の対応を大人ができなかったり、いたずらしちゃう子供も出てきて、困っているのが現状でした。
僕はもともと子供が好きだったので、適任だったと思います。そういう子達と一緒に一日中過ごしたりすることで、自分の気持ちも少しずつ明るくなってきました」

 

そういったタイミングでお父様が突然「仕事を辞めてホールを建てる」と決断し、報告してきたそうです。それが音楽ホール“槌音”を建てるための「槌音プロジェクト」

 

臺「父はもともと中学校の楽器の受け入れなどの相談を受けていたんですけど、たまたま支援に来てくださっていた方々と父に縁があったみたいで。ホールを建てられる希望が見えたらしいんですよね。そうやって父が考えて出した決断を話されたとき、僕も決断する時が来たと思ったんです。そしてずっと我慢していた「音楽に対する欲」を打ち明けました。父は「じゃあやりなよ」と。そこからはどんどん話が進んでいきましたね」

 

生きることに最も近くなってる

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-「臺さんにとって、トランペットってどういう存在なんでしょう?」

 

臺「震災があってから、いつ死ぬかわからないってことがよくわかったんです。人はいつか死ぬって頭では理解していても、やっぱり本当に死ぬってこと自体が映画や物語の世界に近くなっていたというか。それを、よりリアルに感じるようになった。
いつ死んでしまっても後悔がないように毎日を過ごそうって考えた時に、じゃあ僕のやりたいことはなんだろう?って考えたんですよね。
それがやっぱり僕の場合、トランペットだった。
あの時亡くなってしまった仲間や先輩が生きていたこと、震災を伝えて風化させないこと。そしてそこに自分自身のやりたい音楽をつなげて行って、街へ恩返しをしたい。そう考えるようになりました。
なので、僕にとってはトランペットをやるってことが生きるに最も近いんですよね」

 

音楽で復興するということ 

震災当初、様々なミュージシャンが被災地へ赴き演奏していましたが、現地にいない人間からは「ギターじゃなくてスコップを持て」「支援したいなら第一原発の作業に行けよ」などの、心ない辛辣な意見も頻出していました。

 

-「臺さんは、音楽と復興について、どう考えていますか?」

 

臺「うーん、“音楽で復興する”というよりは、“音楽が繋ぐ人の力”がもたらすことが大きいかなぁ。もちろん音楽そのものの力も復興に繋がると思いますが、その周りに集まる人がいる という事が本質な気がしますね。
綺麗事だけ言ってても復興は成り立たないですが、人との関わり、要約すると交流人口を音楽で作ること。これが被災地うんぬんというより、地方創生として大きな力になると思います」

  

 -「なるほど…。“音楽の力”というと少し抽象的ですが、臺さんの話で輪郭がハッキリとしてきました」


臺「芸術は人の生む文化ですからね。故郷が被災して多くの人、物、文化が失われて修復する事が難しい今、新しい文化が必要だと僕は感じますよ。
食べ物や景色は大槌も間違いなく素晴らしいのですが、それは三陸全体に言えることなので、他と違うアピールをしていくためには人の生む芸術という文化が最も個性的かなって。
僕の活動は復興や新しい文化を作るという事に関しては微々たるものですが、もっと経験を積んで継続して実践していく事で、大槌にしか無い個性になると確信しています。いつかそれを見に体験しに人が来るような大槌にしたいです」

 

伝え続けて生きていく

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震災から8年経った今、これからの被災地を思いながら臺さんは笑って言いました。

 

臺「ここから風化が加速していく中、被災地も被災地外も関係なく、あの時やその後の繋がりを伝える言葉と音楽が力を持っていくと僕は思います。
僕はこの8年間それをやり続けてきたので、今後も変わらず細々とでも伝えて生きていきたいです!」

 

こうして伝え続けていく若いミュージシャンと、今読んでくださっているような読者さんがいる限り、3.11の災害が完全に風化してしまうことはないでしょう。私たちひとりひとりが意識を持って、共生していく気持ちを持つことが大切ですね。

来たる3月11日に向けて、意識を高めていきましょう!

 

インフォメーション

メディア情報

 今月のSTORYさんで、特集が組まれています。educartとはまた違った切り口からのアプローチになっているので、ぜひ手にとってみてくださいね。

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STORY(ストーリィ) 2019年 04 月号 [雑誌]

STORY(ストーリィ) 2019年 04 月号 [雑誌]

 

 

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先日放映されたテレビ番組では、武田鉄矢さんと対談していました。


 イベント告知 

・3月11日
 槌音追悼コンサート
・3月23日、24日
 大槌駅開通式
・4月1日
 神奈川県立希望ヶ丘高校吹奏楽定期演奏会 ゲスト出演

※詳しくはフェイスブックページよりお問い合わせください

 

臺 隆裕

岩手県大槌町出身。10歳からトランペットを始める。2011年 高校在学中に東日本大震災にて被災。その後、音楽の真価に気付き上京。2013年度 尚美ミュージックカレッジ専門学校 ポップスコンテンポラリー学科主催のソロコンテストにおいて、銀賞を受賞。同校特待生。2014年から一般社団法人 エル・システマジャパンの講師として被災地の小、中、高校生の音楽指導を始める。2015年、被災者としてのメッセージを音楽で伝えるべくジャズユニット【TSUCHIOTO】を立ち上げる。2016年 ファーストミニアルバム「TSUCHIOTO」をリリース。
2018年には大槌出身者と大槌ファンによる地方創生プロジェクト【TSUCHINOMI】を立ち上げる。
TSUCHIOTO、TSUCHINOMIでの活動の他にもチャリティーイベントでの講演や追悼演奏も行う。その他にも、ロックバンド、ビッグバンド、ジャズコンボ、吹奏楽等の様々な形式でのライブサポート福祉施設における音楽療法、小児向けのリトミック活動、高校生を対象にした音楽指導等を行っている。

小曽根 真、Count Basie Orchestra、Akira Tana&OTNOWA、小林研一郎と愉快な仲間たちオーケストラ、NHK交響楽団トロンボーン奏者 吉川武典、NHK交響楽団バイオリン奏者 大鹿 由希など様々なジャンルのミュージシャンと共演を果たす。

臺 隆裕 | Kasame MusicSchool

 

最後に自己紹介させてください

私たち【 educart(エデュカート)】は、yajiとkarmaの2人による【児童福祉×芸術】をテーマにしたチームです。保育園などへの出張音楽講座、障害児向けのアートセラピー、ママやパパが楽しめるイベント開催など、芸術を通して子どもたちに生きる楽しさ・自己表現の素晴らしさを伝えていく活動を行なっています。 

educart.hateblo.jp